2017年05月27日

シングルマッチ

ことシチュエーション・コメディは、"集団戦"である。各プレイヤーがそれぞれの役割(ロール)を遂行することで、"状況"を"場"を作り、笑わせる。個々人のスタンドプレイでなく、連携で笑いを取るコメディなのだ。
みたいなことを良く聞くし、おれも言う。
実際正しい考えだと思う。概ね。

幸いアガリスクは(もちろん常連客演陣も含め)長期間パーマネントなメンバーで活動できている。そのおかげでチームプレイに関しては些かの自信があるし、「型(スタイル)」と「主義(イズム)」含めて評価してもらえていると自負している。俳優個人ではなく、「アガリスクエンターテイメント」という劇団単位での評価、少し生々しい話をすればその単位でお客さんもついている。
それは、目指していたところだ。個人ではなく、集団として世に出ること。

もちろんこっからだ。こっからだ、と考えていくときに、どうしたって問われる。
"個"が問われる。

集団として強いことは、個人として弱くていいことの理由にはならない。シチュエーションコメディが集団芸だとして、それは一人で客席を沸かせられない理由にならない。してはいけない。
集団がピンチのとき(中核メンバーの喪失とか、ね)こそ、個々人の"持ちもの"が問われる。旗揚げから参加する古株だからこそ、安寧としてポストにしがみつくような恰好悪いことができるか。

つまりなんだ、打って出るのは今なんだ。

今日まで出演させてもらったガソリーナでの二人芝居。
そしてえいや、と思い立って挑戦する初の一人芝居しかも自作自演「INDEPENDENT:17」。

つまり、そういうことです。



posted by 淺越岳人 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月29日

Never say never

去る者を追わず、なんて綺麗事を言うつもりは、ない。失ったものを数えるな、なんてできない。
でもさ、送り出すことしか、できないじゃないか。

だって、解るから。たぶん誰よりも解っているハズだ。10年一緒に芝居やってきたんだ、そのくらい解らせろ。
いや、「解る」なんてのも一方的/暴力的なものでしかないんだけど。おれがそう思ってるだけ/思いたいだけなんだろうけど。

この話はだいぶ前から聞いていたし、何度も個人的に話もした。当然慰留したし「一緒に辞めちまうか」みたいなことも考えた。そういう中で覚悟はしてたつもりだけど、いざこの段になってみて、自分のか弱さに愕然とした。

おれは呑みに行きたいんじゃない、バーベキューがしたいんじゃない、ラジオで話したいんじゃない。
一緒にコメディが作りたいんだ。

正直に言おう。
淋しい。キツい。人間、こういうときは本当に目の前が真っ暗なるものなのだなあ、と薄ぼんやりとした頭で考える。 いや、突然の報せじゃなくて、本当に良かったと思う。

でも、前向きなことも書かなければならない。『帰ってきたドラえもん』ののび太だって、あんなに頑張っていたじゃないか。

自転車は漕ぎ続ければ倒れない。
だから、おれは漕ぎ続ける側でいたい。倒れないように。倒さないように。そのためには、ペダルを踏み込むしかない。
いつかまた、と言うためには前に進むしかないのだ。表現は、集団は「前進さもなくば後退」ではなく「前進さもなくば転倒」だから。
そんなどこか後ろ向きな「前進あるのみ」ではダメだっていうことは解っている。たぶん誰よりも解ってる。解ってるけど、ポジティヴな言葉を吐くにはやっぱり重過ぎる。「でも、やるんだよ」が精一杯。

いやはや、とりとめのない散文になってしまっていることから、ダメージの程が伺えるねえ。

塩原俊之が欠けても、アガリスクエンターテイメントは続いていく。おそらく今までと変わらず、いや今まで以上に進んで行く。それは明らかだ。ここでダメならそりゃダメだってことだ。

だから本来なら、ここでおれは「塩原ファンは淺越あずかりです!」とか「おれしかいねえだろ!」とか言うべきなんだけど。ちょっともう少しだけ、立ち止まらせてくれ。これすら美味しい"シチュエーション"としてエンターテイメントに必ずするからさ。

背負うなんて悲劇ぶるつもりはない。第一おれはコメディ劇団の劇団員だ。喜劇の側だ。だからこれも引き受けて、これすらガソリンにして、受け身取って立ち上がるしかない。今までだってそうしてきた。そうしてきたから10年塩原さんとやってこれたんだ。だからこれからも立つ。立って戦う。止まる理由ではなく進む理由が、またひとつ増えたんだ。

でも、ね。

最後の悪あがきとして、「エクストリームまたやりましょう」て絞り出した。明確な返事はもらえなかった。

でも、ね。

「絶対にない」なんて、絶対にない。
失ったものを数えるとき、この言葉は希望だ。








posted by 淺越岳人 at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

BNGT⇒3.0

遅れ馳せながら、だが。

『時をかける稽古場2.0』東京・京都2都市ツアー、全日程を終了できました。有形無形すべてのご助力、まことに感謝します、、、こう言った挨拶的言い回しは毎公演書いているのだが、今回は格別である。リアリティが違う。

さいとう篤史の降板。その代役としての古屋敷悠の登板。今思い返しても何かのボタンが掛け違ったら、公演中止は別としても数ステージ飛ぶくらいはあり得たのだろう。
1ステージも欠けずに走りきれたこと。しかも、芝居としてコメディとしてちゃんと戦える作品たして上演できたこと。
この『時をかける稽古場2.0』という作品を。

アガリスクエンターテイメント旗揚げ当初からの目標(バイブル)のひとつが、三谷幸喜の『バッド・ニュース☆グッド・タイミング』だ。
最悪の報せは、最高のタイミングでやってくる。
シチュエーションコメディがどういうものかを一言で言い表した至言だが、そのものズバリ言葉通りの状況(シチュエーション)でのこの言葉は、それ以上の意味を持って聞こえてくるのだ。

おれたちがシチュエーションコメディをやっていたから、『ナイゲン(全国版)』をやっていたから、篤史がアツシをやっていたから、『大空襲イヴ』をやっていたから、再演だったから、、、そう言ったひとつひとつが、つまり歴史が、あった。
そしてそれを共有できる座組と観客が、いた。

そんなタイミングだったんだ。だから「コメディ」たり得た。

無駄に長生きしてるわけじゃなかったんだ、アガリスクは。
本当に、幸せな劇団ですよ。

だからこそ。
成せたからと言って、成せなかったことが消える訳ではないんだ。

本人の意思は気にせず書くけど、だから完全にエゴだけど、おれは京都でさいとう篤史と『時をかける稽古場』がやりたい。で、そのときには古屋敷悠にも座組にいて欲しい。彼もまた、欠かすことのできないメンバーだから。
そしたらまた物語を大幅に弄らなきゃいけないし、どうせやるなら初演から『2.0』レベルで改造しなきゃならないし、でもそんなビジョンは現段階でないので、つまりこの『3.0』はあくまで「もしも」の話である。

でもね。
また劇団を続ける、劇団で続ける意味ができた。

たぶん何年か後に振り返って、「あの公演がタイミングだった」という公演になった気がするのだ。しかしそんな未来の話ばっかりしてられねえから、とりあえず洗濯をする。







posted by 淺越岳人 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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